MS君のこと

【MS君のこと】

中学生の時、クラスは一時違ったがMS君と、MM君と私の3人は、何をするのも一緒で、夏休みの虫取り、放課後のランニング(弁天山一周は良くやった)、金鶏菊を取ってきて、教室に飾ったり、鉄棒の蝙蝠返しは私はMS君に習った。3人でF校に行こうと放課後の勉強も一緒にやった。友人でありライバルだ。

高校2年の12月27日、MS君が亡くなった、という話を同級生から伝え聞いた。一人で部屋を閉め切って勉強していて、一酸化中毒だった。私は暫く蝉の抜け殻のようだった。彼の親は記念品として、F校の図書館に丸時計を寄付した。今でもあるのだろうか。私は彼の筆箱を貰った。50年以上たった今でも大事に持っている。私の父母は彼の両親に年賀状を出し続けてくれた。私は墓参りにさえ行ったことがない。古稀になって、今、懐かしくてしょうがない。今年は是非墓参りに行きたい。

捨てる馬鹿者、拾う神

【捨てる馬鹿者、拾う神】

今朝のウオーキングの時である。道路の左側を前籠に袋を入れて、かな火箸で道路に落ちている紙のジュースの飽きパック、コーヒーの空き缶、その他パンの空き袋等なんでも摘まんで、袋に入れながら歩いている自転車の小父さんがいた。私は右側を歩いていたが、御互いに気が付いて、頭を下げ合った。小父さんはゴミを拾いながらなので、私には追いつかない。住宅地の中なので、通りすがりの人が捨てているとは思えない。近所の人か、住宅地の道を知っている人しかいないところなのだ。だから捨てているのはその近所の人である可能性は高い。そんなゴミを捨てる馬鹿者が近所にいるのに、そのゴミを拾って歩く小父さんは、どこか神々しく見えた。今朝の新聞に全国ワースト2位の年間1,035gというのも無べなるかなと思える。福島はなんでこんなにマナーの悪い街になってしまったのだろう。

6月の雨

 

6月の雨】

一瞬、強烈な閃光が走る。

やがて、大粒の雨が石礫のように降り出す。

雨は道路に跳ね返り、水溜りが見る間に大きくなっていく。(この雨は止むのだろうか?)

昨日までの真夏のような暑さはなんだったろう。

 道端には金鶏菊、クローバー、姫じょおんなどがこれ見よがしに咲いている。

 学生の頃、雷鳴が轟いた時間があった(日本史の時間だったと思う)。皆な、視線は窓の方向にくぎ付けになった。そこで、先生は一言、「皆さん、大丈夫です。私は皆さんより長生きしていますが、未だに止まない雨は降ったことがありません。」教室は何事もなかったかのように平穏を取り戻した。

ウオーキング途中の私は、「さて、この雨の中どうやって家へ帰ろうか」と思案していた。

田圃では蛙が一斉に鳴きだした。ラジオはまるで分っていたかのように「雨降りお月さん」が流れている。飛ばして走る車に雨水を跳ねられ全身ずぶ濡れになった。あとは、ええいままよとびしょ濡れで家に帰った。

世羅修造

戊辰戦争の開戦前、福島県内(合併前)は会津が戦力の中心だったが、幕末当時の福島

藩は3万石の小藩だった。慶応2年(1868年)、長州藩士世羅修造暗殺事件が起きて、それが引き金になって戊辰戦争が始まったと言われる。『世羅が好きな福島人はいないだろうと』言われているらしい。新政府軍の奥羽鎮撫総督参謀として、会津藩との和平を求める仙台藩に対しても横暴な振る舞いを繰り返し、「其見ゲ果手タル呆気ニコソ、左様ノモノ共ノ主人モ略知レタルモノナリ、所詮、奥羽ニハ目鼻ノ名タル者ハ見当足らず。奥羽皆敵ト見テ逆撃之大策ニ至度候二付キ…云々」と仙台藩士を嘲り、傍若無人などをとり、仙台藩にあくまで武力討伐の姿勢をとり、会津救済の可能性は失われた。

「世羅」は憤激した仙台藩士(黒烏隊と言われている)などに福島の城下『金澤屋』にて襲われ瀕死の重傷を負い、阿武隈川で斬首され、遺体は阿武隈川に投げ捨てられた。

現在は、「世羅」の墓は福島市の稲荷神社の北東にひっそりと建立されている他戊辰の役戦没者として信夫山の護国神社にも祀られている。(地元の長州にも「英雄」として祀られているという話だが私は見たことがない)

福島歴史資料館で、「金澤屋」は明治病院(福島市北町)の側にあったと分かったが斬首の場所は分からない。

これが、戊辰戦争の始まりと言われているらしいが、近代の福島の歴史を少しづつ調べるのも面白い。会津では今でも「薩長土肥」と呼んでいる。   以上

 

 

 

紙芝居

【紙芝居】

子供の頃、紙芝居を自転車に乗っけた小父さんがやってきた。隣の集落との境はJR線のガード(小さな鉄橋)だったので、そこで子供達は小父さんの客寄せの拍子木を私たちのエリアの子供たちに渡すのである。拍子木を受け取った子供は小父さんの横に並んで、「紙芝居が来たよ!」と囃したてて歩くのが仕事だ。大体はその地区のボス(大体小学6年生)で、その子は紙芝居がタダで見られる特典があった。それ以外の子は薄焼き煎餅にソースを挟んだもの(確か¥5、割り箸に水飴を付けて、自分で捏ねるものは¥10だったような気がする。上映会場は消防ポンプ小屋の前の僅かなスペースに10人位集まると始まった。

水飴を捏ねながら、わくわくしながら紙芝居をみると、小父さんは、次のエリアに移動していく。私たちは何事もなかったかのように、また缶けりや鬼ごっこを始めるのであった。

 

プラごみについて

プラスチックごみのリサイクル強化と排出削減に向けた新法「プラスチック資源循環促進法」が参院で可決されました。

プラゴミにはいろいろな種類のゴミがありますが、私は、最たるものは「ペット・ボトル」だと思っています。そこで、ペットボトルを使用する飲料品のメーカーは、まず回収のための連合会のような組織を設置すべきだと思うのです。

そこで、ペットボトル製品を販売する際は製品価格+¥100=販売価格にするのはどうだろうと、前から思っていました。(¥100でなくとも¥300でも¥500でもいいのです。)、連合会がペットボトルを回収し、回収したらペットボトル代を返却するのです。そうすれば、購入者は勿論、購入しない人もペットボトルを回収所に持参すれば、ボトル代を受け取れる仕組みを作れば、捨てる人は極端に減るし、捨てても拾う人が増えます。 同様にプラゴミをグラム単位で回収する仕組みなど、減らす方法はいくらでもあると思うのです。 安易に考えすぎでしょうか?